2009/05/25
天岩戸開き。
古事記・日本書記に出て来る天岩戸開き、、、弟神、スサノオ命の暴れ狂う姿に怒った天照大神が天岩戸に隠れてしまう。地上は闇の世界となり、神々が祝詞を奏上したり、舞を行ったり、まるで宴会のようになる。外の様子が気になり、天岩戸を少し開けて出て来た天照大神を引きずり出した、、、そして地上には光が戻った。簡単に言えばこんな話しだけれど、天照大神が太陽だとすると夜は必ず隠れていきます。毎日毎日繰り返す自然現象。人間はこれを当たり前のように思い、感じ、明日、明後日、一ヶ月後、一年後と計画を立てています。僕は最近、太陽が昇る前に鳥たちが奏でる声で目が覚めるのだけれど、鳥たちは、朝が来ることをあたりまえに思っているのでしょうか?太陽に天照大神に出て来て欲しくて、歌い舞っているのかもしれません。それを喜び讃えるように現れる太陽。毎朝毎朝、鳥や動物たちが天岩戸開きを行っていてくれているのかもしれませんね。鳥や動物たちには過去や未来という価値観がきっとないのでしょう。この今、今、今の連続。アボリジニの人々の言葉には、過去・現在・未来という時間の流れを表す制限がありません。過去も未来もすべてがこの今、瞬間にあり、自分の内側の心、想像力であるドリーミング(夢見)によって立ち現れてくるものだと信じられてきました。ドリームタイムというアボリジニの人々に欠かせない価値観についてわかりやすく説明したこんな文章があります〜大地は種子を宿し、種子はその後に形成される植物の夢見を宿している。そしてその夢見を形にして植物はこの世界に立ち現れてきて、己を実現する。アボリジニは大地や宇宙そのものが本源的に持っている潜勢力を、場所の夢見(ドリームタイム)と呼んでいる。そして夢見を持つことで場(大地や植物や動物など)には聖性が宿ることになるという。つまり夢見を失うことで、私たちは場の聖性(霊性)を失ってしまっているのである〜(おおえまさのり著-夢見る力より)これは、岩、河、山、植物、、すべてのものに神が宿り、心があるという自然観が根底にあります。日本人である僕にも八百万の神がある神道を考えれば、まったく違和感なくそう感じることが出来ます。日本の各地の場には神社やお寺が立ち、その場その場の霊力を保つために日々、神事や儀式が行われています。だけれどきちんと、守られている所だけではない。いくら霊力のある聖地であっても、その場を守る、訪れる人間の中に、ドリーミング(その場の霊性を信じ讃え、共鳴する想像力)がなければその地は、水を与えられない花の如く場の霊力はきっと枯れて衰弱していくことだろう。母なる大地を愛おしむことはそこに住ませていただいている僕には当たり前のことです。そして、その大地をどのように守りその霊性を保ち続けていくのかというのは、人間に与えられた想像力が大きな鍵となるような気がしています。すべては、単独には存在しえない。常に互いに影響を与え合い想像力を使い合う共同作業なのでしょう。右へならへの温暖化、エコ、CO2の排出権の売り買いとなると、、、ワクワクし希望が持てるというより首を傾げてしまいます。すみません、、、地球温暖化という自然現象に危機感を持ち、エコを呼び掛けることで人々の中にもったいないという心や資源や自然を大切に思う心が育つということに関しては、素晴らしいことだし希望が持てます。だけれど、地球を冷やそうとか地球を救うというのは、、、僕には畏れ多くて言えません。今起きていることは、人間の意識を変えるために必要なことが起こっているのだと思います。二酸化炭素を削減したから温暖化が解決されるとは僕にはとても思えないのです。すべては人間という存在を遥かに超えた大いなる自然界の宇宙レベルで起きていること。僕は科学者でもなんでもないし、あくまで個人的直感で感じることだけれど、太陽の活動が活発なこともあるだろう、遥か彼方の宇宙から届く宇宙線、、、すべてのことが、地球に影響し、人間の意識を心を魂を磨くために、変わっていくために起きている、意識変革のために必然なことなのだと僕は思います。また母なる地球(ガイヤ)に意識があるならば、我々の大きなお母さんが子である人間にすべての命が共にあるために目覚めなさいと伝えてくれているような気がしてなりません。アボリジニや太古の時代の叡智を想いだし、想像力(ドリーミング)という誰の中にも必ずある-力強い魔法-を良い方向へ発揮すべき時代が訪れているように感じています。日本人である以前に地球人、宇宙人なのだということを常に自覚していたい。また宇宙人であるからこそ、天命をまっとうするために、ご縁をいただき今の自分の人生に与えられた、土地、環境、文化、精神を大切にしたいと強く思います。過去・現在・未来という直線的なものではなく、すべてがこの今に凝縮された多次元的なものであり、それを結び付けるものがひとりひとりの心に備わっているだとすれば、、、自分自身のドリーミングをどのように使うかを問われているのだと僕は感じています。そして、もし自分の中の心の中の太陽、光が隠れているのなら、、、真の天岩戸開きとはひとりひとりが己の中で行う必要な与えられた使命、儀式なのかもしれません。KNOB拝。