2009/06/02
一服の茶の中の宇宙。
宇宙というのは何も果てしなく大きな、地球の外にあるものばかりではない。マクロからミクロまですべてが宇宙です。このblogは、僕のホームページのblogのような日々の感動が表なら裏とも言えるものです。同じでは面白くないし、楽器についてはさんざん書いてきたし、なんだかもっと自分自身の頭の中だけで繰り広げられるような世界を言葉に写してみたいと始めたことです。無孔庵という空想の茶室を宇宙に飛ばしたのも、NASAや科学技術、ハイテクなロボット、、、そういうものよりもシンプルな茶室、茶の湯の精神性に果てない宇宙を感じたからなのです。先日、鎌倉の建長寺で大好きな茂山狂言を観ていたのですが、セットも何もなくても、演者が舞台を三角形に擦り足を踏み、歩いて一言、言葉を発するだけでどこにでも行けてしまう。京の都にも、鎌倉にも、、、そこの場が瞬時に現れる。アメリカでも南極でも月でも火星でも、小さな細胞の世界でも、、、どんな場所にも時空を超えてすぐに行けてしまうというのは本当に面白い。まさに観る側、演じる側の想像力の世界ですが、旧約聖書でもまず最初に言葉があった、、、というように、神の想像=創造はこんな風にあったのかもしれません。このような能楽の世界は、大規模なアメリカ的なエンターテイメントの世界と対象的でありながら、それぞれの想像力次第では巨大なセットを上回る、本当にその場がリアルに再現されるような不思議な魅力的な本質的な世界に思えてなりません。若い時に僕が過ごした世界はアメリカ的なエンターテイメントの世界。歳を重ねて少しずつ感じる日本の先人たちが、想像力という人間に与えられた最高なテクノロジーを最大限に発揮したと言ってもいい表現方法にたまらない魅力を感じます。そして、能楽にも繋がる茶事というものを、お茶の知識など何もない時に、ご縁をいただき体験し実感できたこと。それは小さなひとつひとつの事、物、音、一瞬一瞬のことの中に大宇宙を感じるという衝撃的な体験でした。作法も順序も、次に何が起きるのかまったくわからなかったからこそ感じられたことだったと思っています。そこに導いてくださった太田新之介さんは、木を扱う建築家。僕は木の音を紡ぐ者、、、木が繋げてくれたかけがえのないご縁です。しかし、建築家というのは面白い職業ですね。イエスキリストも建築に関わっていたし、人間が住まいする空間を作り出すには様々な要素が必要で、現実的なことから目には見えない働きまで、そういうことすべてが重なって、本当に人間が人間としての力を最大限に発揮が出来る住まいという空間が産み出されるのだと感じています。茶室は住まいではありませんが、一服の茶をいただく、、、そのためだけに作られた空間です。現代ではコンビニでも自動販売機でも買ったら飲めるペットボトルのお茶は便利だしなんでもない行為のように思えます。ですが、700年続き現代に繋がる茶の湯の精神の中で点てられる一服のお茶は、-葉-という大地の土のエネルギー、湯という-水-と-火-が融合したエネルギー、火があるための空気、風のエネルギー。それが合わさり、現れる茶の緑のいのちの響きは地球そのもののようでもあるように思えます。だからこそ一見、堅苦しく面倒にも思える形が作法があるのかもしれません。実はそのひとつひとつは生を祝い、命をいただく舞であり儀式であるのだと僕は思います。その儀式が行われる茶室は神殿にも、教会にも思えます。和とは超宇宙的なことが凝縮された心なのかもしれません。KNOB拝
登録:
投稿 (Atom)